妊娠してから道行く人や病院の看護師さんとの世間話でいつももらう子育てアドバイスがあります。
“赤ちゃんには二か国語で話してあげなさい、どっちもできるようになるから!”
イタリアの先輩マンマ達の力強いアドバイスです。
その場ではもちろん“そのつもりです。”と答えますが、
心で思う本当の答えはYes&No だと思います。
理由は様々ですが、今日は日本語教師として、また一人のおかあさんのたまごとしてこれに対して考えることを少しまとめてみたいと思います。
①バイリンガルとは定義があいまいなもの
私たちがよく使う“バイリンガル”というのは二つの言語を不自由なく使える、という意味合いの言葉で非常に定義があいまいです。日本で生まれて日本語が母語である程度の外国語が使える人も、海外在住の多言語家庭で子供のころから育っている人も、みんなバイリンガルです。
また、使える言語のレベルの厳密な定義もありません。2か国語でサバイバルレベルの日常会話がある程度できる人、国連の会議通訳ができる人のいずれもバイリンガルと呼べるでしょう。“どちらの言語もできる”ことと、それぞれの言語を“どの程度できる”のかは、また別の問題です。
②多言語習得には負荷がかかる
これまでたくさんの生徒さんとの出会いから、日本で生まれて外国語環境に適応していくお子さんや海外で生まれて日本語環境に適応していくお子さんのいずれもレッスンする機会をいただくことができました。
お子さん達は現地校での友達や学習環境との関りを通じて大人よりも早いスピードで言語習得をすることができます。しかし家庭とは異なる言語環境に子どもであるがゆえに言葉にできないストレスを抱えている様子も数多く見てきました。一見楽しく通学していても毎日の外国語での宿題の消化の大変さや長期休み明けに通学への緊張感が増すことなど小さいながらに家庭教師の私に打ち明けてくれました。
自分の気持ちをどの言葉でも言語化することができずに泣いたり怒ったりすることで環境に抵抗してご家族と衝突する様子もたくさん目の当たりにしました。今でもその子たちのことを思い出して、私にもっとできることがあったのではないかと考えてしまいます。
いずれのケースでもお子さん達がよく私に言った言葉の中に“みわこ先生が算数の先生だったらよかったのに”や“みわこ先生が来てくれてうれしいけど、日本語の勉強はいやだな。毎回おやつを食べて一緒に遊べるだけならいいのに。”というものがありました。
つまり、子供にとっても多言語習得は負荷のかかるものなのです。
“多言語環境に放り込めば自然に身につく”という誤ったバイリンガル教育に対するステレオタイプが子ども達に大きなストレスを与えています。
また、ここではいずれも割愛しますがお子さんたちがハイスピードで習得できる外国語も限られた分野のもので現地校の学習についていっているかどうか、というのもまた別の問題です。そして、日本語の基礎=学校の教科書という誤解も大きな負荷を与える要因です。
③優先事項は“アイデンティティの確立”
多言語家庭で子どもが育っていく中で私個人が優先したいことは、使用言語の選択というよりもまずはアイデンティティの確立です。
子ども自身が自身でいられることを心地よく思う言語、そして自身を最も適切に表現できる言語がおのずと母語として設定されていきます。母語を軸としてもう一つの言語を第二言語として捉え、適切な距離感で関わっていくことを明確にしたいところです。
“うちでは母親が○○語、父親が○○語と分けて徹底しています”という声もお聞きしますが環境設定よりもお子さんの安定的なアイデンティティの確立を優先した言語選択を行ったほうがお子さんとご家庭、双方にとっての負荷が少ないのではないかなと思います。
おわりに
人間の脳は解明されていないことが多く、言語習得のメカニズムも客観的に証明できるものは未だにないように思います。そのためこれまでの経験や主観に基づいた一個人の意見ではありますが、“子どもはバイリンガルね!”と言われると毎回このようなことを考えています。